世事両茫茫

人生不相見 動如参與商
この出会いがなければお互いはかりしることもなかったでありましょう
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1月 16

 そんなエリートの親鸞は、こう思ったのではないかなあ、と思ったんですんね。なんか、あっ、そうか、と思った時、頭の中で親鸞が現代語で話していたので、ちょっと失礼かなと思いつつそのまま書きますね。

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 多くのお寺さんから見放されてしまった人は、日々の信仰もそんなに厚くない。仮に、見放されなかったとしても、そんなに信仰の厚くない人には、多くのお寺さんは冷たかったりする。でも、それっておかしいことなんじゃないか。阿弥陀は救いたい人は、むしろそういう人だったりもすると思うし、日々信仰が厚く善行を積んでいる人は、むしろ阿弥陀の救いをあまり必要としないはずではないか。

 でも、いつのまにか、念仏の唱え方、修行の仕方、善行の積み方、お布施の多い少ないによって、阿弥陀救われ度ランキングみたいなものができてしまっている。それって、すごくおかしいことだよね。それって、救いの意味がないし、仏教の意味がないよね。阿弥陀って、そんなことを思っているわけないと思う。

ドラえもん、なんとかしてやってくれ。: ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

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