20世紀と共に決定的事態がやってくる。大量破壊兵器を縦横無尽に駆使した近代戦だ。特に第一次世界大戦は、戦争にかすかに残っていたロマンとヒロイズムを完全に破壊した。機関銃、戦車、自動車、航空機、長距離砲撃用の大砲、強力な爆薬に毒ガス――戦場は、兵士の勇気と愛国心・愛郷心を示す場から、劣悪な環境下で明日をも知れぬ命を抱えてひたすら耐える生活の場となった。そして、タバコ会社は、大量生産の紙巻タバコを兵隊の糧食に嗜好品として押し込むことに成功したのである。
それは生き残るためには意味のあることだったのだろう。劣悪な環境に耐え、死の恐怖に怯え、長期にわたって膠着した戦線を維持する兵士には、精神の安定を保つためにニコチンの興奮作用と鎮静作用が必要だった。携帯に便利で、すぐに火を付けられる紙巻タバコは、兵士に一時の安らぎを供給しつづけた。
戦争が終わり、生き残った者らは、立派なニコチン中毒となっていた。死の恐怖がなくなっても、彼らはタバコが手放せなくなっており、社会のあちこちに喫煙の習慣を持ち込んでいった。第二次世界大戦では、前線と銃後という区分がなくなった。死と破壊の恐怖はすべての人々に共有されることとなり、そこでもニコチンの興奮作用と鎮静作用が必要とされた。
もうお分かりだろう。のべつくまなく、所構わずタバコを喫煙する社会というのは、19世紀以前には存在しなかった。19世紀の紙巻タバコ発明と、20世紀の2回の世界大戦をはじめとした近代兵器を使った戦争、およびそれに伴う極限状態こそが、世界全体をタバコ漬けというべき状態にした原因だったのだ。
紙巻タバコがとめどもない喫煙を技術的に可能にし、戦争が人々をニコチン漬けにしたことで、タバコ会社は非常に大きな収益を長年にわたって上げることとなった。国家はタバコを専売としたり課税したりするようになった。ニコチン中毒の国民は、タバコ会社と国家に、大きな利益を献上し続けるようになった。
この状態を文化と呼べると思うだろうか。私は思わない。これは単に薬物依存を利用した収奪の社会構造でしかない。「税収が増える、減る」という次元の議論は、国民の健康を無視し、文化としてのタバコを貶める、ひどく下劣な行為だろう。
もう一度繰り返すと、タバコについて本当に考えるべきは、「いかにして毒性の影響を抜きつつ、タバコにまつわる文化を維持するか」なのだ。